top of page

COLUMN

2024年8月

画鬼・河鍋暁斎が描いた、蛙と余白

筆者が長年暮らしているさいたま市のすぐ南隣に、蕨(わらび)という小さな市がある。

江戸時代までは、日本橋から北に延びて陸路を京都に向かう街道・中山道(なかせんどう)の2番目の宿場町として、浦和よりも栄えていたという歴史ある町である。

いまでも旧道沿いには風格ある街並みが残っている。

つい最近、筆者にとってはご近所とも言える蕨に、河鍋暁斎記念美術館があることを知った。

「画鬼」とも称される河鍋暁斎(かわなべきょうさい 1831-89)は、江戸時代末期から明治時代前半にかけて活躍した、日本最大の画家のひとりである。

妖怪や地獄の絵や世相の風刺画、能や狂言や歌舞伎の舞台の絵、格調高い美人画に至るまで、その幅広く膨大な作品群には尋常ならざる創作力が溢れており、近年は再評価の機運が著しい。

蕨にある記念美術館は、暁斎の曾孫の河鍋楠美さんという方が運営しておられる。

早速訪れてみると、住宅街の一角にひっそりとある小さな美術館だったが、親密でプライヴェートな佇まいが心地よかった。

そのときの展示のテーマは「いきもの」であった。

中でも暁斎が愛した蛙の絵がたくさんあり、擬人化されたさまざまな表情豊かな蛙たちの姿が微笑ましかった。

 

そのうちのひとつ、「美人観蛙戯図」に心を掴まれて、思わず目が止まった。

季節は夏。うちわを持った若い女性がしゃがみこんで、足元に集まっている蛙たちの様子をじっと眺めている。

中央には相撲を取っている2匹の蛙がおり、他の蛙たちはそれを見物している。

行司らしきカエルもいるし、背中に幼子を背負ったカエルの姿もあり、何やら賑やかそうである。

もう一度女性に目を移すと、髪飾りの華やかさや白いふくらはぎの露出からすると遊女のようにも見える。

その表情はホッと一息ついたように穏やかだが、ちょっと疲れているようでもある。

蛙たちの上に大きく広がっている余白の空間は、そんな彼女の心象風景を表しているかのようだ。

朝顔らしき植物の蔓と葉が生き生きと伸びている様子、そして手前の石灯篭の風格は、絵全体の印象を寂しすぎないようにバランスを取っている。

それにしても、人間と自然への観察と愛にあふれた、何と見事な絵なのだろう!

 

かつて、スピーカーからの再生音やモーター音が全く生活空間の中に存在しなかった江戸時代、人々の暮らしにはどんな音が息づいていたのだろう。

都市生活者であっても、草むらや水辺から聴こえてくる虫や小動物たちの声をより日常的にリアルに耳にしていたのは間違いない。

暁斎の絵から伝わってくるのは、そうした小さないきものたちの気配や声に耳を澄ませ、目を凝らすことを、自らの精神生活の一部としているような、そんな暮らしのあり方ではないだろうか。

第5回写真.JPG

河鍋暁斎「美人観蛙戯図」(制作年不詳)。「画鬼 暁斎読本」(公益財団法人河鍋暁斎記念美術館編 発行:翠企画)より

bottom of page